絵とかなんとか色々置いておく場所です。
主殿3
いつからだか知らない。
ただ、放って置けなくなった。
いつでも、目で追うようになっていた。
理由も分からない。
だけど、あいつが怪我をすると、ざわりと心が騒ぐ。
あいつが他の男と話すのを見るのを、嫌だと、そう感じるようになっていた。
「御館様、智将殿がお見えです」
「おう、通してくれ」
「ここに」
障子越しに、涼やかな声が聞こえる。
「お許しを頂かず、失礼致します」
いけしゃあしゃあと。頭を垂れる相手は、こちらの気など知らぬと言わんばかりだ。
「かまやせん。今日は何かあったか」
「はい、主上よりいくつかお達しがございました」
涼やかな声が、主上からの伝達を述べ挙げる。
軍備についてと侵略への対策、それから御前試合の警護について。
正宗は要点のみをまとめて話してくれるので、ついつい伝達を任せてしまう。
なにより、こいつの声は心地いい。いつまでも聞いていたくなる。
だから、わざとこいつに伝達をさせている。
「……それから、堅苦しい話を好かぬのは分かるが、たまには顔を見せよ。と」
「めんどくせえ」
「そう言わず。主上への拝謁も十将の務めですよ、主殿」
苦言を言いながら、柔らかく笑う。
戦であれだけの力を振るうとは信じられないほどに、正宗の体の線は細い。少し力を込めたらすぐに壊れてしまいそうだし、女装させたらそこらの女よりもよっぽど美人だと想像できるほどの優男だ。同性ながら、毎度この笑顔にどきりとしてしまう。
「何はともあれ以上にございます。では私はこれにて……」
「ん。ご苦労」
す、と頭を垂れ、音もなく去っていく。
もう少し、話をしていたいと思うのだが。
なんだこの気持ちは。まるで恋でもしてるようではないか。
「馬鹿馬鹿しい」
自分の思考に思わず声を出して突っ込みを入れる。
「御館様?」
控えていた部下が心配そうな声をあげる。
「いや、なんでもない」
そう。なんでもない。男同士で恋など、ありえようはずがない。
「まさかとは思いましたが……。御館様はご存じなかったのですか……」
「? なにをだ?」
「……いいえ。知らぬが仏、という言葉もあります」
部下の遠い目を見つめて。あいつが去った廊下を見やる。
何故だか知らない。
あいつが来ると、なんだかいい匂いが残っている気がする。
花の匂い、とでもいうのだろうか。柔らかく、甘い匂い。
「……散歩行って来る。夕時には戻る」
「御意。いってらっしゃいませ」
気を紛らわせるには、打ち合いに限る。
普段より少しゆっくりと歩く。
潮風とは別な湿り気が空気に混ざっている。もうすぐ梅雨か……と、ぼんやり考えていると、部下が数人、物陰から誰かを見ているのが見えた。
「おいこら。修練サボって何してんだ」
「げ、お、御館様っ! 大声出さんでください!」
その場にいる全員に、明らかな動揺が走る。部下達が見ていた先を見やれば、あいつにそっくりの娘が、女中と思われる年配の女と団子を買い求めている。
「なんだ、娘が団子買うくらい大したことじゃあるめえに。何でそんなにこそこそしてんだ」
一応部下達の意思を尊重して、俺も物陰に隠れるようにして声を潜めてやる。
「何言ってんすか。あの女中、正宗様んとこの多恵ですぜ」
潜まった声に告げられる名前には聞き覚えがある。一度、正宗と歩いていた女中だ。
確か子供の頃から仕えている女中で、乳母兼教育係のような存在だといっていたか。
「多恵が娘と一緒だからなんなんだよ。若い女中と一緒なだけだろ」
「かーっ、この人は……! あれは……」
言いかけた部下の口を、他の手がふさぐ。
あれは、なんだろう?
改めて二人を見る。どうやら用が終わったようで、二人揃って歩き出す。
娘の方は、見れば見るほどに正宗にそっくりだ。あいつも髪をきちんと梳いて、女の装いをしたならば、あんな感じになるだろう。
「お前ら。今のは見なかったことにしてやるから、まっすぐ屋敷にもどれよ」
「へ、へい……」
部下達に言い残して、二人を尾行する。
なんとなく興味が沸いた。瓜二つの女を見たといったら、あいつはどんな顔をするか、見てみたかった。
物陰に隠れながら、二人について歩く。二人が歩いていく方向には、確か正宗の実家があったはずだ。とすると、娘の方は正宗の姉か妹だろうか。あいつからは知恵方である兄上殿の話しか聞かないが。……もしかして、俺 よっぽど女好きに見られているのか?
どんよりとした気持ちを抱えながら、二人が入っていった家を確かめる。ここには一度しか来たことはないが間違いない、正宗の実家だ。
門の外で、家人との話を盗み聞いてみる。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ただいま。父上は?」
「先ほどお戻りに。時宗様のお部屋におられます」
「そう。ありがとう」
涼やかな声が耳に心地よく響く。正宗と同じ声だ。
双子、なのだろうか? だとしたら姿が似ているのにも得心が行く。
なんだか目的の大部分を果たしてしまったような気がするが、ここまで来たのだからもう少し探ってみてもいいだろう。
そっと壁伝いに中の様子を探る。以前は外観を見ただけだったが、こう外壁を伝ってみるとやはりかなりの規模を誇る屋敷だと分かる。もっとも、正宗の父上は猛将の二つ名で知られる天津平定に貢献した大武将だ。既に隠居されてはいるが、その功労により家禄は主上に次ぐ位階に記されている。それを考えれば、この規模も大したことないのかもしれない。
わかっちゃいたが、やはり正宗は生粋の上流者なのだ。
ぼんやりと考えながら壁を伝っていると、一番奥まった壁の向こうから声が聞こえた。
「おかえり雅。今日は早かったな?」
「はい、兄上が体調を崩されたと聞きましたので」
「心配をかけてしまったね。でも大丈夫なのかい?」
「大丈夫ですよ、主殿はちゃんと分かってくれます」
威厳のある少ししゃがれた声―多分これが猛将の声だろう―と、雅と呼ばれた娘の声、それから二人より幾分か細い男の声がする。多分最後の声は知恵方 時宗殿の声だ。
……って待てよ。今、娘の声が『主殿』と言わなかったか?
「さて、儂はちょいと出かけるかの」
「また主上と将棋ですか?」
「年寄りの楽しみじゃ。時宗の具合も報告せねばなるまい。では行って参るぞ」
「はい。いってらっしゃいませ」
気配が一つ去る。猛将が主上の将棋相手など聞いたことはないが、ありそうな話だ。
「さて、雅。何か話したいことがあるのではないかい?」
おっとりとした静かな声がする。
「話したいことなど……兄上はまずお体を治すことです。ゆっくり休んでくださいませ」
「大丈夫さ、少し発作が出ただけだからね。もう落ち着いているよ」
苦笑しているらしい密やかな笑い声は、正宗が苦笑するときの笑い方に似ている。
「主殿は相変わらずかい? ……その様子では、あまり変化はないようだね?」
「あ、兄上っ」
「もうそろそろいいんじゃないか、と思うのだよ。雅には、幸せになってもらいたいからね」
知恵方が紡ぐ言葉の合間に、娘の慌てた声音が混じる。
「もちろん、お前に正宗を名乗らせてしまっていることにも責任を感じているし、ね。
本来正宗は、私が名乗らなければならなかった名なのだから」
知恵方の口調は変わらない。
しかし、何を言っているのだろう。理解しようとしても頭が動かない。
「正宗を名乗ると決めたのは、私です。兄上には責などございませぬ」
娘の涼やかな声が、冷たく変わる。
「私は十将が一人。智将正宗でございます」
いつかのような、熱を帯びた冷たい声が、耳の奥で聞こえる。
いつからだか知らない。
ただ、放って置けなくなった。
いつでも、目で追うようになっていた。
理由も分からない。
だけど、あいつが怪我をすると、ざわりと心が騒ぐ。
あいつが他の男と話すのを見るのを、嫌だと、そう感じるようになっていた。
「御館様、智将殿がお見えです」
「おう、通してくれ」
「ここに」
障子越しに、涼やかな声が聞こえる。
「お許しを頂かず、失礼致します」
いけしゃあしゃあと。頭を垂れる相手は、こちらの気など知らぬと言わんばかりだ。
「かまやせん。今日は何かあったか」
「はい、主上よりいくつかお達しがございました」
涼やかな声が、主上からの伝達を述べ挙げる。
軍備についてと侵略への対策、それから御前試合の警護について。
正宗は要点のみをまとめて話してくれるので、ついつい伝達を任せてしまう。
なにより、こいつの声は心地いい。いつまでも聞いていたくなる。
だから、わざとこいつに伝達をさせている。
「……それから、堅苦しい話を好かぬのは分かるが、たまには顔を見せよ。と」
「めんどくせえ」
「そう言わず。主上への拝謁も十将の務めですよ、主殿」
苦言を言いながら、柔らかく笑う。
戦であれだけの力を振るうとは信じられないほどに、正宗の体の線は細い。少し力を込めたらすぐに壊れてしまいそうだし、女装させたらそこらの女よりもよっぽど美人だと想像できるほどの優男だ。同性ながら、毎度この笑顔にどきりとしてしまう。
「何はともあれ以上にございます。では私はこれにて……」
「ん。ご苦労」
す、と頭を垂れ、音もなく去っていく。
もう少し、話をしていたいと思うのだが。
なんだこの気持ちは。まるで恋でもしてるようではないか。
「馬鹿馬鹿しい」
自分の思考に思わず声を出して突っ込みを入れる。
「御館様?」
控えていた部下が心配そうな声をあげる。
「いや、なんでもない」
そう。なんでもない。男同士で恋など、ありえようはずがない。
「まさかとは思いましたが……。御館様はご存じなかったのですか……」
「? なにをだ?」
「……いいえ。知らぬが仏、という言葉もあります」
部下の遠い目を見つめて。あいつが去った廊下を見やる。
何故だか知らない。
あいつが来ると、なんだかいい匂いが残っている気がする。
花の匂い、とでもいうのだろうか。柔らかく、甘い匂い。
「……散歩行って来る。夕時には戻る」
「御意。いってらっしゃいませ」
気を紛らわせるには、打ち合いに限る。
普段より少しゆっくりと歩く。
潮風とは別な湿り気が空気に混ざっている。もうすぐ梅雨か……と、ぼんやり考えていると、部下が数人、物陰から誰かを見ているのが見えた。
「おいこら。修練サボって何してんだ」
「げ、お、御館様っ! 大声出さんでください!」
その場にいる全員に、明らかな動揺が走る。部下達が見ていた先を見やれば、あいつにそっくりの娘が、女中と思われる年配の女と団子を買い求めている。
「なんだ、娘が団子買うくらい大したことじゃあるめえに。何でそんなにこそこそしてんだ」
一応部下達の意思を尊重して、俺も物陰に隠れるようにして声を潜めてやる。
「何言ってんすか。あの女中、正宗様んとこの多恵ですぜ」
潜まった声に告げられる名前には聞き覚えがある。一度、正宗と歩いていた女中だ。
確か子供の頃から仕えている女中で、乳母兼教育係のような存在だといっていたか。
「多恵が娘と一緒だからなんなんだよ。若い女中と一緒なだけだろ」
「かーっ、この人は……! あれは……」
言いかけた部下の口を、他の手がふさぐ。
あれは、なんだろう?
改めて二人を見る。どうやら用が終わったようで、二人揃って歩き出す。
娘の方は、見れば見るほどに正宗にそっくりだ。あいつも髪をきちんと梳いて、女の装いをしたならば、あんな感じになるだろう。
「お前ら。今のは見なかったことにしてやるから、まっすぐ屋敷にもどれよ」
「へ、へい……」
部下達に言い残して、二人を尾行する。
なんとなく興味が沸いた。瓜二つの女を見たといったら、あいつはどんな顔をするか、見てみたかった。
物陰に隠れながら、二人について歩く。二人が歩いていく方向には、確か正宗の実家があったはずだ。とすると、娘の方は正宗の姉か妹だろうか。あいつからは知恵方である兄上殿の話しか聞かないが。……もしかして、俺 よっぽど女好きに見られているのか?
どんよりとした気持ちを抱えながら、二人が入っていった家を確かめる。ここには一度しか来たことはないが間違いない、正宗の実家だ。
門の外で、家人との話を盗み聞いてみる。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ただいま。父上は?」
「先ほどお戻りに。時宗様のお部屋におられます」
「そう。ありがとう」
涼やかな声が耳に心地よく響く。正宗と同じ声だ。
双子、なのだろうか? だとしたら姿が似ているのにも得心が行く。
なんだか目的の大部分を果たしてしまったような気がするが、ここまで来たのだからもう少し探ってみてもいいだろう。
そっと壁伝いに中の様子を探る。以前は外観を見ただけだったが、こう外壁を伝ってみるとやはりかなりの規模を誇る屋敷だと分かる。もっとも、正宗の父上は猛将の二つ名で知られる天津平定に貢献した大武将だ。既に隠居されてはいるが、その功労により家禄は主上に次ぐ位階に記されている。それを考えれば、この規模も大したことないのかもしれない。
わかっちゃいたが、やはり正宗は生粋の上流者なのだ。
ぼんやりと考えながら壁を伝っていると、一番奥まった壁の向こうから声が聞こえた。
「おかえり雅。今日は早かったな?」
「はい、兄上が体調を崩されたと聞きましたので」
「心配をかけてしまったね。でも大丈夫なのかい?」
「大丈夫ですよ、主殿はちゃんと分かってくれます」
威厳のある少ししゃがれた声―多分これが猛将の声だろう―と、雅と呼ばれた娘の声、それから二人より幾分か細い男の声がする。多分最後の声は知恵方 時宗殿の声だ。
……って待てよ。今、娘の声が『主殿』と言わなかったか?
「さて、儂はちょいと出かけるかの」
「また主上と将棋ですか?」
「年寄りの楽しみじゃ。時宗の具合も報告せねばなるまい。では行って参るぞ」
「はい。いってらっしゃいませ」
気配が一つ去る。猛将が主上の将棋相手など聞いたことはないが、ありそうな話だ。
「さて、雅。何か話したいことがあるのではないかい?」
おっとりとした静かな声がする。
「話したいことなど……兄上はまずお体を治すことです。ゆっくり休んでくださいませ」
「大丈夫さ、少し発作が出ただけだからね。もう落ち着いているよ」
苦笑しているらしい密やかな笑い声は、正宗が苦笑するときの笑い方に似ている。
「主殿は相変わらずかい? ……その様子では、あまり変化はないようだね?」
「あ、兄上っ」
「もうそろそろいいんじゃないか、と思うのだよ。雅には、幸せになってもらいたいからね」
知恵方が紡ぐ言葉の合間に、娘の慌てた声音が混じる。
「もちろん、お前に正宗を名乗らせてしまっていることにも責任を感じているし、ね。
本来正宗は、私が名乗らなければならなかった名なのだから」
知恵方の口調は変わらない。
しかし、何を言っているのだろう。理解しようとしても頭が動かない。
「正宗を名乗ると決めたのは、私です。兄上には責などございませぬ」
娘の涼やかな声が、冷たく変わる。
「私は十将が一人。智将正宗でございます」
いつかのような、熱を帯びた冷たい声が、耳の奥で聞こえる。
どうやって館に戻ったのかは覚えていない。
ただ、例の部下達が様子を見に来たのは覚えている。
皆は、知っていたのだ。
正宗が、女であること。病の知恵方に代わり、性を偽ってまで武将になったこと。
知らぬが仏。その言葉の意味もよく分かった。
誰にも会いたくなくて、部屋で一人、物思いにふけった。
ぼんやりと一人過ごして、どれほど経ったのだろう。
なんとなしに庭に出てみると、満月が昇っていた。
そして、無人のはずの庭に人影が一つ。
「ああ、主殿」
人影が、こちらに気付く。やんわりと笑う正宗が、着流し姿で立っていた。
「今宵は良い月にございます」
「何故、ここにいる」
「さぁて……何故でしょう。私にもよく分かりませぬ」
苦笑が密やかに聞こえる。その苦笑が、前に聞いた知恵方の密やかな笑い声と重なる。
「ただ、今宵ここにいれば、主殿に会える気がしたもので」
苦笑はそのままに。いつもの涼やかな声音が、二人の間を渡る。
「もう二十日もお隠れだったのですよ?」
「そんなに経っていたのか……」
「ええ。主殿がお隠れの間、皆で四方八方に飛び回って。
後でたんと馳走を頂かないと割に合いませぬ」
さらりと言い放つ言葉は、雅と呼ばれていた娘の声ではなく、いつもの正宗の声だ。
「あ、ああ……」
うまく言葉が紡げない。
相手は相変わらず、こちらの思うところなど知らぬ、と言わんばかりに、目を細めて月を見上げている。
何故だか、その月光の中に、正宗が溶けていきそうで。
「ぬ、主殿?」
「あ、す、すまん」
思わず抱きしめていた腕を解く。
「少し顔が赤いですよ? お風邪でも召されましたか?」
「あ、いや、そんなことはない」
そんなことはない。むしろ腕にわずかに残る柔らかな感覚が原因なのだ。
「……明日は、主上に拝謁してくる。
しばらくお暇をいただけそうだったら、皆で湯治にでも行くか」
「よろしいと思いますよ、きっと皆喜びます」
「ああ……今日は、良い月だ」
「そうですね」
満月など、いつ見ても同じなのだろうけれど。
何故だか、いつもとは違うものに見えた。
*********************************************************************************
あれからしばらく。
正宗は、あの日俺が尾行していたことを気付いてはいないらしい。
これまで通り、俺の下につく武将として、武功を積み上げて。
これまで通り、なかなか主上に拝謁しない俺の代わりに伝達をしてくれる。
俺は明らかに変わった。変わったというか、単に自覚する回数が増えただけかもしれない。
まず、常に正宗を目で探すようになった。が、出来るだけ正宗を側に置かないようになった。
今度は理由も分かっている。あいつが視界にいないと落ち着かない。怪我はしていないか、いつも通り笑っているか。その一挙手、その一言、全てを見ていたいと願ってしまっている。
けれど、側に置いておくと、その、なんだ、襲いそうになるんだ。どうしても、あいつを女だと見てしまう。そして、愛おしいと、思ってしまう。
この程度抑えられないで何が忍だ、と、師には笑われそうだが、どんな術も効かないのだからもうどうしようもない。
「ぬーしーどーの。墨が垂れてますよ」
「ぇ? だーっ、せっかく書き上がったのに……っ」
不意にかかった正宗の声に気付けば、書きあがったばかりの主上に奏上する書状に墨が盛大に落ちていた。
……こうやってぼんやりとすることも増えた。さすがに戦闘中にはないが、今のように内務をしている間によくやってしまって、往々にしてこうなる。
「俺のニ刻半~……」
「全く、何してるんですか……」
ため息混じりに言いながら、正宗はおもむろに紙を取り出し、机においている。
「仕方ありませぬ。私が書きますので、主殿は修練場にでも行っていてくださいませ」
気がつけば、手にしていた筆が正宗の手の中にある。
「そんな様では他の仕事も任せられませぬ。主殿には、私がいないと駄目ですね」
さらさらと、紙の上で流れるように筆が舞う。
……やれやれ。どこまで見透かされているのか。
「そう、だな」
いいだろう。俺も意を決しようじゃないか。
外に出る振りをして、立ち上がって。
正宗の後ろに回って抱きしめる。
「え、ちょ、主殿!?」
「あーやっぱ女なんだな」
「いや、ちょっ、どこ触ってるんですか!!」
普段の涼やかな正宗はどこへやら。顔を赤らめて必死に振りほどこうとする様は、娘と変わらない。
「少し黙ってろ。」
顔を無理やりこちらに向けさせて。唇で唇をふさぐ。
障子の隙間から部下達が合掌している姿が見えた気がしたが、とりあえず黙殺しておく。
さて、これからどうしてやろうか。
硬直してしまった相手の薄く柔らかな感触を楽しみながら。
忍に感情など、思慕の情など不要。と教え込まれた声が遠くになって聞こえた。
こいつが愛おしい。愛おしくて、もう止まらない。
「今度から二人で会うときはもうちょい着飾れ」
「……主殿の命でも、それは聞けませぬ」
「皆の前では、とは言わんさ」
白い肌を抱き寄せる。
「俺の前だけだ」
ぬくもりが心地いい。
「俺以外には見せるな」
腕の中のぬくもりは、何も応えてはくれない。
ただ一言。「御意」と呟くのだけが聞こえた。
ただ、例の部下達が様子を見に来たのは覚えている。
皆は、知っていたのだ。
正宗が、女であること。病の知恵方に代わり、性を偽ってまで武将になったこと。
知らぬが仏。その言葉の意味もよく分かった。
誰にも会いたくなくて、部屋で一人、物思いにふけった。
ぼんやりと一人過ごして、どれほど経ったのだろう。
なんとなしに庭に出てみると、満月が昇っていた。
そして、無人のはずの庭に人影が一つ。
「ああ、主殿」
人影が、こちらに気付く。やんわりと笑う正宗が、着流し姿で立っていた。
「今宵は良い月にございます」
「何故、ここにいる」
「さぁて……何故でしょう。私にもよく分かりませぬ」
苦笑が密やかに聞こえる。その苦笑が、前に聞いた知恵方の密やかな笑い声と重なる。
「ただ、今宵ここにいれば、主殿に会える気がしたもので」
苦笑はそのままに。いつもの涼やかな声音が、二人の間を渡る。
「もう二十日もお隠れだったのですよ?」
「そんなに経っていたのか……」
「ええ。主殿がお隠れの間、皆で四方八方に飛び回って。
後でたんと馳走を頂かないと割に合いませぬ」
さらりと言い放つ言葉は、雅と呼ばれていた娘の声ではなく、いつもの正宗の声だ。
「あ、ああ……」
うまく言葉が紡げない。
相手は相変わらず、こちらの思うところなど知らぬ、と言わんばかりに、目を細めて月を見上げている。
何故だか、その月光の中に、正宗が溶けていきそうで。
「ぬ、主殿?」
「あ、す、すまん」
思わず抱きしめていた腕を解く。
「少し顔が赤いですよ? お風邪でも召されましたか?」
「あ、いや、そんなことはない」
そんなことはない。むしろ腕にわずかに残る柔らかな感覚が原因なのだ。
「……明日は、主上に拝謁してくる。
しばらくお暇をいただけそうだったら、皆で湯治にでも行くか」
「よろしいと思いますよ、きっと皆喜びます」
「ああ……今日は、良い月だ」
「そうですね」
満月など、いつ見ても同じなのだろうけれど。
何故だか、いつもとは違うものに見えた。
*********************************************************************************
あれからしばらく。
正宗は、あの日俺が尾行していたことを気付いてはいないらしい。
これまで通り、俺の下につく武将として、武功を積み上げて。
これまで通り、なかなか主上に拝謁しない俺の代わりに伝達をしてくれる。
俺は明らかに変わった。変わったというか、単に自覚する回数が増えただけかもしれない。
まず、常に正宗を目で探すようになった。が、出来るだけ正宗を側に置かないようになった。
今度は理由も分かっている。あいつが視界にいないと落ち着かない。怪我はしていないか、いつも通り笑っているか。その一挙手、その一言、全てを見ていたいと願ってしまっている。
けれど、側に置いておくと、その、なんだ、襲いそうになるんだ。どうしても、あいつを女だと見てしまう。そして、愛おしいと、思ってしまう。
この程度抑えられないで何が忍だ、と、師には笑われそうだが、どんな術も効かないのだからもうどうしようもない。
「ぬーしーどーの。墨が垂れてますよ」
「ぇ? だーっ、せっかく書き上がったのに……っ」
不意にかかった正宗の声に気付けば、書きあがったばかりの主上に奏上する書状に墨が盛大に落ちていた。
……こうやってぼんやりとすることも増えた。さすがに戦闘中にはないが、今のように内務をしている間によくやってしまって、往々にしてこうなる。
「俺のニ刻半~……」
「全く、何してるんですか……」
ため息混じりに言いながら、正宗はおもむろに紙を取り出し、机においている。
「仕方ありませぬ。私が書きますので、主殿は修練場にでも行っていてくださいませ」
気がつけば、手にしていた筆が正宗の手の中にある。
「そんな様では他の仕事も任せられませぬ。主殿には、私がいないと駄目ですね」
さらさらと、紙の上で流れるように筆が舞う。
……やれやれ。どこまで見透かされているのか。
「そう、だな」
いいだろう。俺も意を決しようじゃないか。
外に出る振りをして、立ち上がって。
正宗の後ろに回って抱きしめる。
「え、ちょ、主殿!?」
「あーやっぱ女なんだな」
「いや、ちょっ、どこ触ってるんですか!!」
普段の涼やかな正宗はどこへやら。顔を赤らめて必死に振りほどこうとする様は、娘と変わらない。
「少し黙ってろ。」
顔を無理やりこちらに向けさせて。唇で唇をふさぐ。
障子の隙間から部下達が合掌している姿が見えた気がしたが、とりあえず黙殺しておく。
さて、これからどうしてやろうか。
硬直してしまった相手の薄く柔らかな感触を楽しみながら。
忍に感情など、思慕の情など不要。と教え込まれた声が遠くになって聞こえた。
こいつが愛おしい。愛おしくて、もう止まらない。
「今度から二人で会うときはもうちょい着飾れ」
「……主殿の命でも、それは聞けませぬ」
「皆の前では、とは言わんさ」
白い肌を抱き寄せる。
「俺の前だけだ」
ぬくもりが心地いい。
「俺以外には見せるな」
腕の中のぬくもりは、何も応えてはくれない。
ただ一言。「御意」と呟くのだけが聞こえた。
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詩柳耶琴
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